威徳寺の歴史
今から約四百年前天文年間(1532)、都留市谷村の長生寺2世融山宗祝大和尚示寂(亡くなった)地とあります。
その後約百年、慶長年間(1596~)に長生寺十世即室長茂大和尚を開山第一世として勧請し、享保年間(1716~)正宗心印大和尚が諸堂を建立し中興、文久年間(1861~)7間四面の本堂、庫裏、閻魔堂等、諸堂が完備されました。
明治七年(1875)畑倉小学校の元となる賑岡小学校が、威徳寺の本堂で始まりました。
昭和十年(1935)九月、台風災害により裏山崩落のため本堂壊滅、再建の準備が整えられていたが、戦争の為かなえられず。
昭和五十五年(1980)十月、第二十四世林博之住職、前東鳩社長故小林茂義氏の寄進により本堂再建。
平成六年(1994)五月現在の庫裏完成

過去帖に因れば
今から約400年前天文年間、都留市谷村長生寺2世融山宗祝大和尚示寂の地とあります。その後約100年、慶長年間に長生寺10世即室長茂(一説に宗茂)大和尚開山第1世として勧請し、享保年間正宗心印大和尚諸堂を建立し中興、文久年間本堂再建、7間四面の本堂、庫裏、閻魔堂等、諸堂が完備されましたが、昭和10年、台風災害により裏山崩落、本堂壊滅、再建の準備が整えられていましたが、戦争の為かなえられず。
その後昭和55年10月、現在の24世住職林博之和尚、前東鳩社長故小林茂義氏の寄進により本堂再建。平成6年5月、現在の庫裏完成。
嘉永5年(1852)、日影井上藤冶右衛門により寄進された山号額。威徳寺の山号「岩空山」が力強いタッチで描かれている。
本堂崩壊の後、旧庫裏に掛けられていたが、昭和55年本堂再建の際修復された。総欅製の立派な作り。
揮毫は東京世田谷豪徳寺22世
巨海東流(1779~1857)
寺情報
- 名前
巌空山 威徳寺
(がんくうざん いとくじ)
- 宗派
曹洞宗
- 住所
〒401-0001
山梨県大月市賑岡町畑倉2163
- 連絡先
TEL・FAX:0554-22-4687
- 駐車場
あり(5、6台)